場外〈Wins〉のはなし(1)

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横浜・野毛場外周辺あれこれ

いまはWinsですが、昭和は場外です。通った横浜の野毛、渋谷、銀座、錦糸町、たまに新宿、新橋、後楽園。平成、令和と、どの場外もご無沙汰しています。すっかり風景も変わったことでしょう。
東横線の桜木町駅があった頃のはなし。野毛の場外に行くには桜木町駅前の環状道路と新道を渡るのですが何せ距離がある。もたもたしていると歩行者用の信号が青から赤になって、1回で渡りきれないので途中の島で次の信号を待つことに。お目当てのレースの締切時間が押し迫っていると悠長に待っていられない。そんな状況を避けるため信号が青になると同時に、競馬新聞を片手に、馬にも負けぬ猛ダッシュで走ります。無事に横断できれば新聞に目を落としつつ目的地の場外を目指すのであります。路上では時として出現する衣類・ベルト・時計を売るテキ屋や大道将棋屋が商売をしています。後者の場合、テキ屋系と将棋愛好家によるものがあるそうです。路上には許可なく将棋盤や景品をのせた台があり、周りは将棋指しとサクラと思しき数人がいらっしゃいます。台から数十メートル離れたところには、一見それと分かるお仲間が立って手入れの見張り。腕に覚えのあるカモが詰むやら詰まぬ詰め将棋にギブアップしたらしく、一手いくらか知らないが金を要求されていたっけ。そのカモさん素直に金を払わなかったらしく、しびれを切らしたサクラさんに、目立たないようケツの周りにヒザ蹴りを入れられていた。競馬もそうですが分からないものには手出し無用ということで。

昭和の横浜野毛場外は何しろ混んでいた。馬券も特券と呼ばれる1,000円券とバラ券の200円券しか売ってなく、おまけに3鞍だか4鞍くらいの発売で、その締切時間も発走20〜30分前だったように思う。建物の最上階が200円券の売り場(この階はすごく混雑しているので敬遠)、特券売り場はフロアごとに発売レースが異なり、おまけに穴場と呼ばれる馬券を売る窓口が買い目ごとに違う。なので大本命の枠連が2-3なら3ヶ所ぐらいの窓口が2-3の札がかかった売り場となる。当然人気のないアナ枠には複数の札がかかる穴場となる。主催者側でどの馬が人気になるのかお見通しで、人気の予想をしていました。そうでなければ競走馬の調子や力を加味したハンデ戦の負担重量など決められませんよね。ちなみに平成3年秋までは単勝、複勝、枠連の馬券しか売っていませんでした。記憶をたどると昭和48年6月に渋谷場外で迂闊にもフロアを間違え、つまりレースを間違えて馬券を買って、2鞍取り損なった苦い想い出があるのでその頃まではフロアごと、窓口ごとに売っている馬券が異なっていたと思います。

昭和の馬券売り場はこんな様子だった
昭和の馬券売り場はこんな様子だった

最終レースが人気サイドで決着した時など、的中した人が払戻窓口に殺到。写真判定の時は、観戦しているフロアにある20型位のブラウン管モニタでは着差が分かるわけもなく、確定前にとりあえず列に並んで待つ。確定後は外れた輩は櫛の歯が欠けるように気まずそうに列を離れる。低配当の時は払戻に30分くらい待つこともある。そんな時は馬券場の入り口付近に「早いの、早いの」との呼び声で両替をしている早替屋さんのお世話になるファンも。数パーセントの手数料で、素早く両替をしてくれる。たまたま万馬券などでた時は両替所は人もまばらで、勝者は出口に向かう敗者の羨望の眼差しを痛いほど受けることになる。
有馬記念当日の野毛場外は常連から、年一の夢を見てやって来るフアンですごい混雑だった。場内入場規制がなされ、建物がある1ブロック周囲500mのところに、寒風のなか大行列に並んで待つこと1時間。やっと入場できても購入可能なレースは「有馬記念」だけだったか、最終レースも買えたかどうかの記憶は定かではないが、馬券購入をしたらすぐ退館し、近くの競馬中継をしているところに入るか、家に帰って観戦。いまでは考えられない馬券購入事情だった。

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